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教育委員会の人たちに訴えたいこと


「とにかく、分けないで欲しい。
勉強ができないのはわかっているけど、社会的には、十分に順応していける子ども達なのに、小さいころから分けられてしまうと、それすらできなくなってしまう。
この子にとっては役に立たない可能性のある数学や国語の勉強がちょっとできるための支援で分けられるより、社会生活を営むために、必要な、集団生活を重視してほしい。
この子にとってだけでなく、周りの子が、障が者は分けられるものだというふうに理解するのではなく、障がいがあっても、適切な支援を受けることで、普通に生活ができること、そのためにどういう支援が必要か、子ども達は自然に分かってくれます。
分けられるのが普通だった大人が理解できないことを、子ども達は一緒にいるだけで簡単に理解します」


できれば、まんがではありますが、「のんちゃんの手のひら」とか「だいすき!」とかを読んでもらいたいです。


とにかく、分けないで欲しい

この子にとって、勉強ができることよりも、生きていくために、出来れば一人で生きていくために、社会から話されないことが一番必要です。
ダウン症の子は、社会性は十分にあります。逆に自閉の子達と比べると、知能はおとっても社会性は十分にあるので、きちんと一人だちして社会の中で暮らしていけるようになってほしいです。学校はそのための準備段階の場所と思います。

たぶん難しい掛け算や割り算は、できても、受験でものになるくらいにできることはないと思います。
実際に、大学までいったダウンのお子さんもいらっしゃるので、それを完全にあきらめる必要はないけれど、その可能性も普通に分けずに授業を受けてこられたからこそできたものでもあります。
役に立たないといったら申し訳ないけど、ちょっと算数ができるようになるために、ちょっと国語ができるようになるために分けられるよりも、みなと同じ中で集団生活の中で過ごせるようになって欲しいです。
分けられるよりも、くもんなどに通って補ってでも、一緒にいさせてあげたいです。(実際にくもんには今も楽しんで通ってますが)

もちろん、言葉など、分かれて別にカリキュラムをくんでもらった方がいいことはその都度あるとは思いますが、はじめから分けないでほしい。

今、保育園に行って、同じ年齢の子たちと同じように遊ぶことはできなくても、子ども達の工夫と先生達の支援の中で、楽しくすごしています。

私たち大人は、小さいころから、障がい児とほとんど接することなく暮らしてきました。
子どもがダウン症と告知を受けて、一番ショックを受けるのは、ダウン症のその子ではなく、親や周りのものなのです。周りにいなかったから、ダウン症がいったいどんなものか、分からない不安が一番強いのです。

今、保育園での子ども達の姿を見ると、娘が障がい児であることを、素直に理解して、勝手に必要な支援をしてくれています。大人がすることよりも、適切であることも多く、とてもやさしい子達ばかりです。

この子達には誰も障がいのことを教えてもいません。子供たちが、娘がいることで、勝手に理解しているのです。

娘のためだけでなく、周りの子ども達が、自然に障がいというものを理解して、どう接すればいいのか、そして大人になった時に、私達ダウン症の親が告知されたときにうけたようなショックを少しでも感じることなく育っていって欲しいと思います。いろいろな職業で、障がい者と接するときに、小さい頃から自然に身につけたものと、紙の上での勉強などで得た知識とは比べ物にはなりません。
障がい、病気はかならず、皆に起こることなのですから、、、

私自身も、小城で育ち、医師になることができました。
医師になって、障がい者との接し方が分からずに、本当に困りました。
でも、娘が生まれて、それは簡単に解決しましたし、仕事はどうしても増えましたが、患者さんに対しても、以前よりもいい医療ができるようになったと思います。
保育園の子ども達を見ていると、この子たちは、こんなことで悩まないでいいのかな、とも思います。









私の周りにいる大人のほとんどは、障がい児は分けられた環境で育ってきています。
なので、障がいのある人と接することに慣れていません。


2010-11-08 14:35  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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